Oh La Lan Lan♪

結婚2年目、ゆとりでミーハー

【お盆】おじいちゃんが教えてくれたこと その1

それでも大好きなおじいちゃん①

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お盆だったので…

 

実家に帰っていました。

お盆にドンピシャで夫くんを連れて行くのは

実は初めてだったので

もののけ姫の世界観溢れるお寺へ

お墓参りにも来てもらいました。

 

死を身近に感じたのは

ここ数年では2回あり、

父がガンになったことと

おじいちゃんが亡くなったことです。

幸いにも、父は術後の回復も良く

引き続き抗がん剤などでの治療を続けていますが、

好きなものを食べ旅行も楽しんでいるようです。

 

さて、せっかくブログを続けていることもあり

亡くなったおじいちゃんのことを残したいと思います。

おじいちゃんはきっと恥ずかしがるかもしれませんが、

孫の自由ということで書かせてもいます笑

 

 

悪名高き?頑固じじい

 

おじいちゃんは、戦争を経験した大正生まれの人間でした。

時代の割にガタイが良く、

身長も180cmはあったと思います。

(そのおかげか、私と妹も背が高め)

 

お酒が大好きで、

まだわたしが保育園そこそこのときは

毎日のように父と晩酌をし、

焼酎をガンガン飲んだいた記憶があります。

仕事で外に飲みに行くこともありましたが、

私が生まれる前はかなり多く

家族を困らせていたようでした。

 

B型を否定するわけではありませんが、

TheB型の人間で

これと決めたら断固として曲げず、

地元でもかなり気が強いほうで

町内会でもなかなかの権力を持っていた…?

ような話を聞いています。

 

なので、家庭内でも気の強さから

大声であーだこーだ言うことも多く、

母のストレスのひとつでもあったようでした。

 

好き嫌いはご法度

 

戦争を生き抜いたおじいちゃんは

なんでもよく食べる人でした。

ご飯ときの口癖は

嫌いなものがあってもなんでも食え。

なのでおじいちゃんはなんでも食べていました。

父は好き嫌い言っていましたが、

おじいちゃんは家庭料理から

たまに出るおしゃれな料理までなんでも食べます。

しかも残さず食べる。

お茶碗に米粒を残さず食べるのは

おじいちゃんの影響も大きく、

きれいに食べれない男子は米に失礼だと

付き合ったことがありません。

 

おじいちゃんはご飯だけでなく

お菓子も食べます。

家にはお菓子やパンのストックが大量にあり、

おばあちゃんとわたしたち姉妹のために

いろいろ買ってくれたんだなあと思います。

 

そのおかげで、わたしたちはぶくぶく太り、

がっちりとした体型に。

少しでも痩せて帰ってくると、食え食えが始まります。

 

時には、病院でもらったプロテインのような飲み物までくれました。

たいして美味しいわけではありませんが、

おじいちゃんも話のタネにくれたんだと思います。

乾パンはあまり好きではありませんでした…。

 

食べ物は世代を超えたコミュニケーションツールであり、

人を見極めるものです。

 

 

鶏口牛後であれ

 

わたしは中学高校を通して

学年でも成績が上位チームでした。

母が厳しかったこともあり

常にテストで3位以内にいないと

厳しいお叱りを受けておりました。

 

高校受験のとき、わたしは県内でも有数の進学校にいくつもりでした。

学力的にもなんの問題もなく、

先生も後押ししてくれていましたが、

田舎なので通学にかなり難点がありました。

部活もできなければ、親が仕事を辞めるレベルです。

 

そんなときおじいちゃんは

ひとつランクを落とした学校に行けと

言ってくれました。

普通の高校です。

学力的には余裕で、特進クラスに入って大学を目指せ。

頭のいい子達の中に紛れてしまったら

せっかく頑張っても大勢に紛れてしまう。

それに、そこであれば両親どちらも

迎えに行ける距離だから部活もできるぞ。

 

花の高校生活(とは言ってもど田舎)を夢見ていたわたしは

普通の高校に行くことにしました。

(父と同じ高校ということで安心感もありました)

おじいちゃんの言うことは正解で、

部活も3年間謳歌して、

大学へは推薦で入ることができました。

 

都会と違ってそこまで競争力は高くはありませんが、

おじいちゃんはきっと

わたしのストレスがかからないくらいのレベル感を

わかっていたんだと思います。

 

なんでもかんでも、最高峰でなければいけない、

それが合ってる人もいれば合ってない人もいる。

自分に合った集団生活の仕方があるのを

教えてくれたんだと思います。

 

 

芸を高みに、行動力と黒飴

 

小学校にあがったとき

わたしはピアノを習い始めました。

家から歩いて5分程度の

個人でやっているピアノ教室です。

 

大きくなってからはひとりで通っていましたが、

小学校中学年くらいまでは

おじいちゃんが送り迎えをしてくれていました。

 

1時間のレッスンが終わると、

きっちりおじいちゃんが待っていたものです。

そんなとき、おじいちゃんは決まって

黒飴を持ってきてくれていました。

それを食べながら帰るのが毎週の恒例でした。

わたしが大きくなってからは

妹のピアノのおけいこの送り迎えをするようになりました。

 

おじいちゃんは音楽はわかりませんが

先生か怖かった

よくできた話なんかを

坂道を登りながら聞いてくれていました。

 

田舎なので習い事の種類も少なく、

ピアノですら貴重な存在だったこともあり、

そのまま高校を卒業するまで通い続けました。

それも、途中でおじいちゃんがピアノを買ってくれたからです。

 

小学校中学年くらいなると、

それまでクラビノーバで練習していたこともあり

鍵盤に触れる機会が少なく、

先生にもタッチの弱さを指摘されていました。

コンクールに出始めたときも顕著に現れてしまい、

全県大会に行けなかったことが悔しくて

泣いた記憶があります。

 

そのとき、おじいちゃんは

高校卒業までやるならピアノを買ってやる

と、条件付きでピアノを買ってくれました。

高校卒業なんて遠すぎてよくわからないけど

悔しさが勝って「やる!」と約束をしました。

 

数週間して届いたピアノは

今でも実家に置いてあります。

わたしと妹以外はピアノが全くダメなので

今ではオブジェなのですが、

あの高校までしっかりやったからこそ

今、夫くんと音楽活動ができています。

(もう難しい曲は弾けませんが…)

 

でも、おじいちゃんは一度もコンクールには来ていません。

(発表会も最初だけでした)

練習しか聞かせてあげられなかったのは、

歳や体力せいもあるのですが残念です。

 

なにかひとつでも芸を持たせるために

アメを与え続けてくれたおじいちゃん。

送り迎えがなくなっても

黒飴がずっと飴玉の缶に入れては

ほら食べるか?と差し出してくれていました。

 

懐かしい味です。

 

続く!